熊本には「火の国」を冠したお祭りや人気ラーメン店があり「なぜ火の国?」と思う県外の方も多いのではないでしょうか?
今回は、熊本が「火の国」と呼ばれる所以をお伝えしていきます。
熊本が火の国と呼ばれる理由とは
「火の国」の由来は諸説あるといわれています。
今回は5つの説を集めてみました。
①豪族・火の君が由来
肥後国(ひごのくに)とは、日本の旧国名の一つで現在の熊本県です。
肥後国の前は「火の国(肥の国)」と呼ばれていました。
この地域にいた最大の豪族「火の君(ひのきみ)」一族が「火の国」の由来といわれています。
5〜6世紀に勢力が大きくなった一族です。
現氷川町(ひかわちょう)にある野津古墳群(のづこふんぐん)は、火の君一族の墳墓である可能性が高いといわれています。
②阿蘇山が由来
「熊本といえば?」と聞いて、世界最大級のカルデラを持つ「阿蘇山」をイメージする方は多いのではないでしょうか。
「火の国」は、阿蘇山の火に由来するという説もあります。
火の君一族は阿蘇山の火を自由自在に操り、その不思議な力の源は古くから活動を続ける阿蘇山の火であると信じられていました。
③八代海の不知火が由来
八代海(やつしろかい)は、九州本土と天草諸島に囲まれた内海です。
旧暦8月1日に不知火(しらぬい)という蜃気楼現象が見られます。
日中と夜の気温差で複雑な空気の層が発生し、異常な光の屈折によってその場にはない遠くの光が見える現象です。
この不知火が「火の国」の由来になったという説もあります。
科学的知識がない時代は、火の君一族の不思議な力の源と考えられたり、妖怪だと思われたりしたようです。
④景行天皇が名付けた
先述した不知火に関連する説で、第12代天皇である景行(けいこう)天皇が名付けたのではないかともいわれています。
『日本書紀』には、九州地方を巡幸していた景行天皇が八代海上の船で方向がわからなくなっていた際、遠くに見える火によって陸に導かれたとの記述があります。
景行天皇が不思議な火を見た場所を「火の国」と名付けたという説です。
⑤白髪山の怪火が由来
第10代天皇である崇神(すじん)天皇が名付けたのではないかともいわれています。
『肥前国風土記』では、天皇に背いた者たちを討つために益城に遣わされた健緒組(たけおぐみ)が、白髪山で謎の火を見ています。
この報告を受けた崇神天皇は「火の降りし国ならば、火の国というべし」とし、健緒組に火君の姓名を賜ったという記述があります。
熊本「火の国」の由来は諸説ある
「火の国」の由来は諸説ありますが、なかでも火の君説が最も有力視されています。
火の君の墳墓ではないかと考えられている「野津古墳群」は見学も可能です。
「火の国」熊本のロマンを感じに、ぜひ訪れてみてください。