みなさんは加藤清正をご存知だろうか?加藤清正は、熊本では大変人気のお殿様だ。清正公(せいしょこ)さんと庶民から呼ばれ戦国時代からずっとその人気を保っているのだ。熊本県民は、好きすぎて神社を作ってしまったほどだ。その加藤清正が祀られているのが、熊本城の横の加藤神社だ。では、なぜ加藤清正はそんなにも人気なのだろう?
加藤清正の意外な偉業とは
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E6%B8%85%E6%AD%A3
加藤清正ってだれ?
簡単に説明すると、加藤清正は、肥後熊本藩の初代のお殿様だ。熊本藩の歴史は以前の記事の『【熊本の歴史】いつ誰が統治してたの?熊本のお殿様の歴史を図にしてみた。』を参照していいただきたい。
なぜそんなに熊本の民衆に人気だったの?
詳しい歴史はWikipediaなどにも載っているので、ざっくり説明すると、加藤清正は元々、豊臣秀吉の家臣で、秀吉の命令で熊本にお殿様として来た。清正が27歳の時だった。当時、熊本は一揆が起こっていたので、荒れ果てた状況だった。そこで、加藤清正は真っ先に、頻繁に氾濫していた川を工事したり、地下水や川の水を田畑に導く用水路を作ったりして治水などに力を入れ、また南蛮貿易に乗り出し、外貨も獲得し、積極的に領地経営を進めた。おかげで熊本はどんどん豊かになり、庶民からも絶大な人気を得るようになったのだ。
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E5%B7%9D_(%E7%86%8A%E6%9C%AC%E7%9C%8C)
加藤清正の異業
加藤清正の偉業は他にもたくさんある。城を作らせたら日本一だとか、戦闘ががすごく強くて、文禄・慶長の役で朝鮮半島を攻めた時には虎と戦って勝ったとか・・・いろいろあるのだが、今回注目したいのは、意外にも意外な異業だ。これは熊本県民でも知っている人は少ないのではないだろうか。
なんと!加藤清正は、日本の歴史上初めてあの野菜を日本に持ち込んだ張本人だったのだ。あの野菜とは・・・
これだ!
そう!セロリだ!これはビックリな情報だ!戦国時代にセロリがすでに日本に持ち込まれていたとは!しかも、加藤清正が持ち込んでいたとは!
騙された加藤清正
文禄・慶長の役の時、朝鮮半島で「これは人参だ」と騙されて日本に持ち帰ったとされている。その後は、ニオイが強すぎて熊本の民衆には馴染まなかったようだ。しかし、江戸時代の野菜図鑑にはセロリのことを『清正人参』という名で掲載していたらしい。今でもセロリの別名は『清正人参』と呼んでいるそうだ。ちなみに、セロリも人参も同じセリ科の植物らしい。
熊本が日本セロリ、いや、清正人参の発祥の地だったとは意外だったにちがいない。もし近くに熊本県民や熊本出身者がいたら、ぜひ聞いてみて欲しい。「加藤清正って何をした人か知ってる?」と。そして、自信満々に教えてあげて欲しい!「加藤清正は日本で初めてセロリを持ってきた人だ」と!