【くまもと人物百景】<地域おこし協力隊編>上天草市地域おこし協力隊「莟 和宏」さん

熊本県内の各地域で活躍する地域おこし協力隊の紹介を通して、その地域の魅力を発信していきます。

上天草市の地域おこし協力隊、莟(つぼみ) 和宏さんに大矢野町湯島の魅力を伺いました。

熊本人物キュレーション<地域おこし協力隊編>上天草市地域おこし協力隊「莟 和宏」さん

上天草市大矢野町湯島とは?

上天草市大矢野町湯島は、島原半島と天草諸島のほぼ中間に位置する周囲約4kmの島です。島原の乱の際にはこの島にて作戦が練られたことから「談合島」の別名もあります。

猫が多いことでも有名で、今では猫を見るためにたくさんの観光客が訪れています。

また、周囲を海に囲まれているため漁業が盛んで、素もぐりや一本釣り、生え縄漁といった自然の漁法が営まれています。

地域おこし協力隊になったきっかけ

出身は熊本県合志市です。
前職は熊本市内の企業に勤めていました。

4年ほど前に湯島にちょっとした縁があり、それから何十回も来ることになりました。そうしているうちにここに住みたいと思い始めたんです。

はじめは自力での移住も考えていたのですが、その時ちょうど協力隊の募集があったので応募してみたところ採用され活動を始めることになりました。
協力隊としての活動は2019年12月に終了し、今は自分の会社「湯島屋」を立ち上げるべく準備を進めています。

農作業中の莟さん

もともと農業が好きで、大学時代も農学部だったのですが、4年ほど前に縁があってから、湯島に畑を借りて農業を始めました。農業をするために何十回か来ているうちに、朝日が昇ると畑に行き、日が暮れる頃に夕日を見て家に帰ってくるという生活に憧れを持つようになりました。それから湯島への移住を考え始めるようになりました。

湯島にはもともと永住するつもりで来ていたので、自分がずっとここで暮らしていく上で過疎化してしまったら困るという気持ちがありました。また、好きな湯島や島民の人達のために何かしたいという思いもありました。その思いと協力隊のミッションである「地域活性化」が合致していました。

協力隊の活動内容

海藻の加工作業

入った当初のミッションとしては、農業振興やネットを使った情報発信、イベント企画などでした。

ただ、実際に湯島に来てみるとやることがたくさんあり、結局、いろんな仕事を担当することになりました。
まず、食品加工場を作って加工品製造をしていました。湯島に「夢の島づくり会」という団体があるんですが、そこが母体となって法人化して海藻の加工場を設立しました。私はそこの工場長として働いていました。

また、観光客向けのカフェを作り運営しています。湯島にはもともと飲食店が少なかったのですが、ネットなどで湯島がブームになり観光客が増えるにつれて、島民の皆さんもこれではいけないということになりまして。島民と熊本大学建築学科の皆さんで話し合った結果、カフェを作ろうということになりました。今では、2店舗目のカフェをプレオープンし、運営しています。

運営されているカフェの1つ「ねころびカフェ」

さらに、湯島で映画を撮影したり、映画祭を開催したり。
結婚式の前撮りスポットとして湯島を使ってもらうこともやっていました。

取材やテレビ関係者の方にたくさん来てもらうようになったのですが、島の誰に連絡すればいいのかということで、私に白羽の矢が立ったんです。そうして対応しているうちに、受け入れ窓口のような形になりました。

協力隊のやりがい・魅力

将来的に経済のみならず湯島の雰囲気をもっと良くして行きたいという気持ちを伝えると、島民のほとんどの方はそれに応えていただけます。そういったところにやりがいを感じていました。

もともと猫が多い、離島といった魅力がある島です。だから、こちらから特にPRしなくても、メディアなどから取材を申し込まれていたのです。そういうことに対応しているうちに仕事が増えていった感じなので、特に苦労はありませんでした。

メディアの方が言われていたんですが、田舎を取材しようとしても対応してくれる窓口が分からないそうなんです。でも、この湯島では一応、私が担当していたので、そういったことも良かったのかもしれません。

協力隊の仕事をやる上でこだわっていたことはありますか。

こだわりというか、心がけていたのは開始した事業を終わらせず、継続させていくことです。市の事業は基本的に終了期限があったり、他のイベントについても補助金がなくなればそこで終了してしまうことが多いんです。でも、それだとこれまでやってきたことがもったいないし、私としても嫌なので、自分が関わった事業は極力、継続してやっていけるようにしています。ただなかには継続する事ができなかった仕事もあるので、そこは反省して次に活かしていこうと思っています。

協力隊を終えてどういったところが良かったと思いますか。

協力隊になった当初は研修で島を出ていくことが多かったのですが、そのことを島民の方に理解されず辛い時期もありました。でも、総じて加工場や映画、カフェなどいろいろなことに取り組んで形に残せたことは良かったと思っています。

移住の決断が先にありましたが、協力隊の仕事がなければどうでしたか。

かなり困難を極めたと思います。農業が好きだったので自力で新規就農する方法も考えていましたが、やはりハードルが高いです。また、この島で雇ってくれる企業があればいいのですが、それもありませんので、協力隊の仕事があったことで、とりあえず3年間安定して生活でき土台が作れたことは本当に良かったと思いますし、今手掛けている仕事を作り出す発想は協力隊として仕事をしたからこそ生まれたものなので、すごくありがたいと思っています。

シーグラス工芸体験

今後はどのような活動をされる予定ですか。

会社を作り、起業する予定です。今、その準備を進めています。
今、一番やりたいと考えているのは島の物産を売っていくことで、通販事業に力を入れていきたいです。他には、協力隊時代に行っていた映画事業やウェディング事業を引き継いでやっていく予定です。

また、今運営しているカフェも、現在「夢の島づくり会」が中心となっていますが、自分の会社のカフェとして運営していく予定です。

市の事業としてシェアオフィスも現在建築中ですので、運営に参加したいなと考えています。

その他には、観光での体験ツアーも考えています。湯島には「シーグラス」というガラス片が多く流れ着くのですが、それを使ったシーグラス工芸体験や、サンセットクルーズなど10個以上のメニューを考えています。

今のところ、事業は1人で行っています。ただ、2019年10月から新しく協力隊となった女性の方や「夢の島づくり会青年部」の方々も協力すると言ってくれています。

自分が目指しているのは、すべて自分で動くのではなく、島の窓口となることです。注文や観光の申し込みなどを受け付けて、あとはそれぞれ専門の人にお任せするイメージです。

今後、湯島をどうしていきたいですか。

この間、湯島に住んでいる子供達にアンケートをとったんです。そのアンケートを見ると、この島をもっと良くしたい、もっと発展させたいという思いが書かれていたんです。20代、30代の人達にはもちろんそういう思いはありますが、子供達もそのような思いを持っていることに気づいていませんでした。

年配の方の中には、このまま静かに暮らしたいので変えなくていいよと言われる人ももちろんいます。ただ、こうしたことを総じて、島の人達がこの島に合ったペースで、充実した生活レベルで暮らしていける島にしたいという思いはあります。そのために、これから立ち上げる会社でいろいろとやっていきたいです。

メッセージ

実際来ていただくのが一番なのですが、島のふわーんとした雰囲気が湯島の魅力です。ただ、こういう空気感ってなかなか伝えられないんですよね。特産品や観光などそれぞれの売りはもちろんあるんですが、湯島全体で考えるとやはり人の温かさや島ならではの雰囲気が一番の売りだと思うんです。もうこれは来ていただくことが一番です。

湯島の海岸

湯島の海岸から見た夕陽

これまで湯島の特産品や情報発信はあまりできていませんでした。湯島は猫島としても有名ですが、環境としてはあまりよくありませんでした。ただ、メディアや観光客が来ることが増えてくるにつれ、体制も整えられてきました。現時点では湯島のホームページもないのですが、体制も整ってきたのでこれからは湯島の魅力をどんどん発信していきます。