【くまもと人物百景】<地域おこし協力隊編>球磨村地域おこし協力隊「大谷 知広」さん

熊本県の各地域で活躍する地域おこし協力隊の紹介を通して、その地域の魅力を発信していきます。

球磨村の地域おこし協力隊、大谷知広さんにお話を伺いました。

熊本人物キュレーション<地域おこし協力隊編>球磨村地域おこし協力隊「大谷 知広」さん

球磨村とは

球磨村は、熊本県の南部に位置し、総面積は207.58㎢で、その88%を森林が占め、村全体が山岳地帯となっています。村の中央には、日本三大急流の一つの「球磨川」が東西に流れ、川を挟んで南に国見山、北に白岩山などの山々がそびえ、これらの山岳を縫って大小無数の川が球磨川に注いでいます。主な産業は農業と林業です。

地域おこし協力隊になったきっかけ

日本国内はほとんど旅行に行っていたのですが、唯一九州だけ行っていなかったので、熊本の情報を調べてみようとハローワークの情報を見てみました。そうすると、ハローワークの1ページ目に球磨村の地域おこし協力隊の募集案内が載っていて、条件を見るとかなり良かったので興味を持ち始めました。

その後、1週間くらい休みを取れる時期があって福岡から鹿児島まで旅行に行きました。そのときに球磨村にも寄ったんです。そこで整備されていない美しい滝や洞窟を見ることができました。さらに、普通にその辺にいたうり坊や鹿がモンスターのように思えたんです。そんな球磨村の環境にRPG(ロールプレイングゲーム)の世界観を思い起こし、それが面白くて。

また、何も手を入れられていない環境に可能性を感じ、ビジネスチャンスも感じて、球磨村に移住して協力隊になろうと決めました。

協力隊として活動する中で、いろんな人からいろいろと教わる機会が増えました。東京でハウスメーカーの仕事をしていた時は教えてもらうことが限定されていたんですが、協力隊の仕事を始めて幅広く勉強できています。心に余裕ができたことが一つの理由かもしれません。

協力隊の活動内容

東京ではバーテンダーや飲食店のコンサル、広告企画関連の仕事もやってきましたが、協力隊に着任してからは、移住・定住コンシェルジュとして軸として活動しています。この活動で見えてきた地域課題に対応するため、「仕事」、「教育」、「空き家」の3つに軸を絞った取組みを行っています。

1つ目の軸の「仕事」では、球磨村の資源を活用した様々な取組みを行っています。

球磨村は観光地が山の方にあるので普通車ではなかなか上がりづらいんです。落石が多くてタイヤがパンクすることもあります。そこで、森林組合と組んで四輪バギーのレンタル業を始めようとしています。私の方でクラウドファンディングなどを活用して資金を集めて準備を整えたら、運営の主体を森林組合にお任せしようと。バギーだと普通に山の上に登っていけるし、普通車よりもよっぽど安全です。

また、放置竹林に対して協力隊がハブになって整備、活用していく活動をしていて、竹100%の紙でできた名刺など、竹林整備を持続可能にするために竹の製品をブランド化して売っていこうとしています。放置竹林が問題になっている地域に対して、竹を切る人を有料で回したり、切った竹を紙として加工して買い取ってもらったりして利益を上げる仕組みです。

中国では竹を使った布も製造されていますので、その技術を日本に輸入したいと思っています。今の日本では竹の供給量が少ないのでできないのですが、放置竹林が問題になっている鹿児島を中心に、北海道などの竹も利用できないかと考えています。

さらに、球磨村で栽培された作物のブランド化もやっています。具体的には、栄養価や残留硝酸値などの数値を表記するようにして、これだけの栄養価があるので値段も高いんですよという売り方をしたいと考えています。球磨村の土地は狭く大量生産ができないので、球磨村では農法を研究する施設を作って、その農法を人吉や八代に輸出しようとしています。そして、そこで育ててもらった野菜を球磨村が輸入して販売するという仕組みです。

2つ目の軸の「教育」では、他地域との教育の差別化を考えています。今、日本では全国的にICT教育が推進されていますが、ICT教育が推進されたからといって必ずしも移住者が増えるわけではありません。ICT教育がすごいから来てくださいと謳うよりも、村らしい事業を取り入れた方がいいと思っています。

私はスノーボードが好きなので東京に住んでいた時は北海道や新潟によく行っていました。これらの地域ではスキーやスノーボードの授業が当たり前のように行われているんです。一方、球磨村では、球磨川でのラフティングや釣りが有名なのにこういった授業は行われておらず、ラフティングを経験したことがある小学生がほとんどいないんです。だから、まずそれを教育に取り入れたいと思っています。そうすると、ICT+都会ではできない村らしい教育ができるのではないかと考えています。

また、伝統芸能保存も目指しています。続けることが保存なのかというと必ずしもそういうことではないと思っていて、球磨村の伝統芸能を映像と資料にまとめて残そうとしています。たとえ後継者がいなくなっても、復活できるようにしたいと思います。

3つ目の軸の「空き家」対策として、家主と借主の間に入ってサブリースという形で家を貸し出す仕組みを運用するNPO法人を立ち上げようとしています。家主さんが思う「見えない相手には貸したくない」など貸したくない理由をNPOでまとめて解決する仕組みを作ろうとしています。

また、耕作放棄地でいらないと言われている土地を名義変更させていただいて、東京の企業にオーナーになっていただき、そこで作物を作って収穫することも考えています。都内の販売ルートを利用して品質の良いものを安く直で売る仕組みです。

これらの活動は、いろんな人の知恵を借りながらアイデアを出しています。常に情報収集のアンテナを立てていて、普段の生活の中で課題点やニーズをいろいろと聞いて、頭の中で結びつけています。

東京にいた時はバーテンダーの仕事が長かったのですが、その時に情報収集や人をつなげることをしていたので、それが今の仕事にも役に立っているのだと思います。

メッセージ

協力隊として活動する中で、地域の人から「ありがとう」と言われたり、今一緒に仕事をやっているプロジェクトメンバーから「この会社良くなったね!」「ありがとう!」と言われるようになったらいいのかなと思っています。

そして、子ども達が大人になったときに球磨村から出ていったとしても、子育てするときには球磨村で育てたいと思って戻ってきてくれるような村にしていきたいです。

私にとって協力隊の活動は苦労することもありますが、とても充実しています。東京出身、ずっと東京暮らしの私からするとカルチャーショックの連続でした。税金を集落の方が徴収するとか、知らない人のお葬式に出席するとか、噂話は尾ひれをつけて光の速さで広がるとか…(笑)

それでも協力隊の活動をすると新たな知識や新たな経験を得ることが出来ます。また、田舎にあふれるビジネスチャンスを見つけることが出来ます。そして自分を『成長させる』ことが出来ます。

今私は自然に溢れる環境でくらし、自分らしさを探しながら、しっかりと稼ぎ、そして生きることを愉しむ、そんな『丁寧なくらし』が出来ています。
みなさんもいかがですか?(笑)